階級とは何だろうか?と最近考える。
自分が近代初頭のことを専門にしてるから無関係な話じゃないんだけど、なんとなく考える。


日本にはいわゆる身分制がない。
アメリカにもない、と思う。
ないからこその今の世の中なのだ。

経済は物理的量の問題である。近代以前は特権階級が牛耳っていれは゛よかった経済が、人類の膨張、つまりは都市の拡大によってそれだけではまかないきれない規模になった。
だから階級はいらないし、女性も解放されたのだ。
ウーマンリブは女性から起こったというのは当然だが、男性の怠惰と限界がそうさせたといえなくもない気がする。

そこで韓国の話である。ただたんに、ケーブルでKBS WORLD の番組を観まくっているからなんだけど。あと学校の近くのチェゴヤに行って、ユッケジャンとか食べてるから、関心あるだけなんだけど。

韓国は近代国家としてみるなら、日本よりも規模などは小さい。

2007KBS歌謡大賞を見ていて、

「日本で一番売れたCDが240万枚、韓国の一番は42万枚」

と言っていた。人口比率とかから考えても、日本の規模は大きい。

だから、どうこうという話ではない。


韓国は、古風な国なのだと思う。先進各国が捨ててきた古い概念が新しい考え方と同居しているのである。


近代化するということは、体制を変えるということに他ならず、人間の進化についていくということである。
日本は幸か不幸かそれについていってるし、リードするチャンスさえある。

しかし、韓国には近代化以前の何かが根強く残っている気がする。

それがいい悪いのはなしではない。事実そうなのだ。


古風な人間の社会が残る韓国は、日本人にノスタルジーをひきおこさずにはいないだろう。

ローマやギリシャがそうであるように。

韓国は素敵な国である。

日本人が削ぎ落としてきた何かがあるし、それは韓国にはあり続けることだろう。

人間というのは、本来怠惰な存在だと思う。そのバランスがお国柄なのだ。

古い意味での「国家」の壁が取り払われている今日、各地域にはどういった種類の社会と人がいるのか、を見極めなければならない。

そして、その各地を自由に飛び回ることができるのが、真の国際人だろう。

国益を背負ってかもしれないし、芸術を求めてかもしれないし、リゾートかもしれなけれども、その地域のソサイアティだけは見逃してはいけない気がする。

ボードレールは「新しい貴族制度」をつくることを提唱したらしいけれども、それはわかる気がする。

彼には、許せない人々と、同盟を組みたい人びとがいたに違いないのである。

時の流れが速すぎて、今は昔のような確固たる証拠としての貴族が存在することは難しいかもしれないけれど、ボードレールの言う、貴族の資格に値する人びとはいるはずである。

それが、世界を自家用ジェットで飛び回るジェット族なのか、というとそうでもないきがする。

政治経済の世界は、城を築いてもそれは砂上の楼閣な場合が多い。

文学の世界だと、耐震で堅固な牢獄を築けば、たぶん千年あとの人にでも伝わる城となる可能性がある。

新しい貴族、それはなんなんだろうか。

それは、古い国ではなく、進化し続ける国にしか存在しないのである。その国に生きて、ボードレールが言うところの貴族になるチャンスがあることこそが、真の「平等」なのかもしれない。

あ、福澤諭吉先生がそれを随分昔におっしゃっていましたね。

「天ハ人ノ上ニ人ヲ…」

慶應義塾は、日本が進化し続ける国である限り、存続し指導者を輩出することは間違いないでしょう。

知の世界というのは、文学とか経済とか法学とかで分けられるものではないのだなあ。

男女の別でさえ、先進国ではわからない。

それは歴史を見れば当然のことなのかもしれない。
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